なんじぃの存在意義
調和と中和は似て非なるものだ。
私の勝手な感覚だが、中和は異なるものが混ざってお互いの性質が無になること、調和は異なるそれぞれの性質を活かしあい整っていること。
話は変わるが、南城市がゆるキャラを作ると聞いたとき、「ケッ」と思った。しかもハートがモチーフだという。神話と歴史に基づいた素晴らしいモチーフがあるのに、この後に及んでゆるキャラだと??
だが私のポリシーなんて所詮、だ。なんじぃを一目見て、惚れた。男惚れだ。ジジィに惚れるなんて後にも先にもきっとなんじぃだけだろう。
再び話は変わるが、広報なんじょうでは幾度となく文化財を紹介するコーナーを扱ってきた。文化財に興味を持ってもらうなど、至難の技だ。正直に言えば、どの連載も精彩を欠いていた。
しかし、最近、なんじぃを入れるとどうだろうと考えた。古びた史跡に、ゆるキャラ。これが意外にも「調和」するのだ。そして文化財に興味がない若者や子どもの目も引いてしまう。これがなんじぃの凄さだと私は思う。
ポップとクラシック、文化と観光、笑いと憂い、高齢者と子ども、過去と未来、、、陰と陽を調和させたいときにこそ、なんじぃは絶大な効果をもたらす。
今日、なんじぃと一緒に地域を巡り歩いた。広報なんじょう5月号から始まる新連載「なんじぃのシマまーい」の撮影だ。これから私たちは南城市内70の自治会をなんじぃと共に巡るという大型企画にチャレンジする。文化財の中に佇むなんじぃはいつもと変わらず飄々として、だけどそこに馴染んでいる。
たまたまこの日、公民館でミニデイが行われていて、高齢者が集っていた。子どもに人気のなんじぃは、高齢者にも人気だった。これこそ、なんじぃの存在意義だと私は思う。